あの淵にいた大山女魚 

トラウトルアーフィッシングを始めて、1年目の春の出来事だった。初めて揃えた釣り道具。農作業のお手伝いアルバイトをして貯めた資金で、ルアーロッド、リール、ベスト、ウェーダーを手に入れた僕。ちょうどその年、原付免許も取得して移動範囲が格段に広くなった。友達から魚が居ると聞いた川を目指して、バイクを走らせた。橋から見えたとある淵、深さもあって、いかにもな雰囲気を感じた。 まだ拙い手つきでロッドのガイドに糸を通す。1番下の広いガイドから1番上の細いガイドまで、一つ一つ丁寧に。これで良し。糸を通し終わると、次はルアーをラインに結ぶ。ベストからワレットを取りだし、なんとなく塗装が綺麗で3つほど購入したジャクソン 奏 5センチ ウグイカラーを選んだ。これで準備は出来たな!そう呟き、護岸ブロックのへこみに足を上手く合わせながら、川原に降りて行った。初めての渓流…川の流れといい見るもの見るものがとても新鮮だった。淵の手前にルアーを投げ、意外と高反発なロッドやスムーズに回るリールに感心していた。きっとここには居るぞ!お次は淵の上流に向けキャスト。山なりに不器用に飛んでいったルアーはぽちゃん!とやや大きな水しぶきをあげ、着水した。よし!こんな感じかなぁ、ラインスラックを取り、見よう見まねでトゥイッチング。水中をギラン!ギラン!と泳ぐ姿がカッコよく、ルアーを見ているだけでも楽しかった。川の流れとルアーの泳ぎに、呼吸が吸い込まれそうになったその時だった。ぐぐぐぐっ!ロッドが大きくしなった。おおおおお!??鱒が掛かったのか?? 水中をぐわんぐわんとルアーを咥えて抵抗する鱒が見えた。おお!鱒だ!そしてそれはかなり大きそうだった。オロオロしながらも足元に寄ってきた鱒をすかさずランディングネットでキャッチ! 茶色が強く出た鼻の落ちた大山女魚だった。それも40センチ近い個体。大きい! 僕はルアーフィッシングの道具を本格的に揃えて、初めての釣行でなんと雄の大山女魚を釣ってしまったのである。これぞビギナーズラックとも言うべきか。トラウトフィッシング歴、9年目になるが後にも先にも40近いヤマメをキャッチしたのはこの時しかない。上手な人はもっとキャッチしていると思うのだが…。なんというかこの時はかなり精神的に辛い時期で、何もする気が起こらず川に逃げて将来をかなり悲観していたと思う。人間不信が進み、社会に対してひたすら心を閉ざしていたのもこの時。10代の僕はどこにいってもいじめられて、心をかなり病んでいた。川でルアーを投げる時間が何も考えなくて良く、面倒くさい人間関係のしがらみからも解放された。僕は人に比べて劣ってるのか、悩んだ時もあったがどうやらそうではないらしい。むしろ人よりも勉強が出来たり、個性的だったりした時期があったと今なら思い出せる。人と違うのは宝なのだ。20代になった今、そう思える。心と体を深く傷つけた人間はきっと一生かかっても許せないが、幸せに生きていく事で、忘れる時間もかなり増えている。それが嬉しい。もしかするとこの時のヤマメは君はそのままで大丈夫と教えてくれていたのかもしれない。自分らしく生きて行きなさい。そう言っていたのかもしれない。社会のしがらみや大人が持つ嫌な部分に、鬱々としていたが、いつまでも子どもらしい素直な心を持ち続けたいと思っている。この僕で良いんだと、大勢に好かれなくても僕を大事にしてくれる人達と共に生きて行こうと思える。また大山女魚との出会いを求めて、バイクを走らせたい。そんな日は意外と近いと思っている。