いじめを受けて苦しんだ日々 乗り越えるまでの苦悩と葛藤 後編

さて、前編では筆者がいじめを受けて、苦しんだ子どもの頃について書きました。後編では苦しみを乗り越える為に助けてくれた人、そして苦しみがもたらす創造性という才能 苦しみから立ち上がる心的外傷後成長 ptg について書きたいと思います。

 そんな引きこもりがちな10年間、完全に家から出られなかったという訳ではなく、中学卒業後、通信制高校に通いながら、趣味であるトラウトフィッシング 地元河川の鱒探しの日々が始まった。そう鱒つり研究所の出発点は人間不信に陥った筆者が自然に助けを求めて、ひたすら鱒を探し練り歩く日々にあるのだ。当時、引きこもりがちな僕を心配した近所の人が田植えのアルバイトに誘ってくれて、まぁメンタルは不調だったのだが、幾らかの収入を得る事ができた。小さい頃から憧れていたトラウトルアーフィッシング。高校生にしては中々の大金を得た僕はそれを握りしめ、釣具屋さんに足を運んだ。これかなぁ、ウェーダー、ベスト、ロッド、リール、ルアーを購入し、早速釣れると友達から聞いていた川に向かい原付を走らせた。

 スーパーカブのエンジンを搭載したホンダ マグナ50。原付に似合わないサイズ感とその重量で登り坂は絶望的に遅かったが、レトロな外見とカチアゲマフラーから聴こえる小気味良い排気音が結構好きだった。MTに乗りたかった事もあり、時間を見つけては当てもなく走り回っていた。リッター50キロは軽く走る相当に優秀なバイクで、中型バイク、CB400SBを手に入れてからも、たまに乗ってはバイクは排気量じゃないな!と悦に浸っていた。今はもう手放してしまい手元にはないが、次のオーナーさんが大事に乗っている事を願っている。

 バイクに話がそれてしまったが、当時、釣具屋さんで購入したルアーはジャクソン社から発売されている、奏というインジェクションミノーだ。初心者にしてはさすがの僕。このミノーやや長めなリップを搭載して、他社のシンキングミノーに比べて一枚下のレンジをオートマチックに泳がせる事ができる中々の優れものだ。当時の僕は塗装の美しさに惹かれて、購入していたと思うが、泳ぎうんぬんを知ったのは、だいぶ後になってから。またイトウクラフトの蝦夷50s 1stもよく購入していて、まだその凄さを知らなかった僕はあまり泳がないルアーだなぁと思っていたが、ルアーのチョイスから鱒釣りの才能の片鱗は当時より垣間見えていたのだなぁと、今となっては思う。

 原付でお目当ての川の淵の近くまで到着すると、慣れない手つきでロッドにリールを取り付け、ガイドにラインを通し、ルアーを結ぶと、河原の土手を慎重に降りていった。いつも橋の上からしか見た事ない川。そんな川に直接肌で触れられ、透き通った水や咲いている草花、そして水中を泳ぐ魚達がとても新鮮で、傷ついた僕の心を相当に癒やしてくれていたのだと、今となっては思う。ポイントを選ぶ目には自信があり、小学生の頃から延べ竿でウグイを狙った経験がとても生かされた。淵尻に到着した僕は、見よう見真似で淵の深みにルアーを投げ込んだ。スゥーっと静かに飛んでいったルアーはポチャンと着水した。初めてのトゥイッチング。不器用に竿を煽り、ルアーにアクションを加える。するといきなり、ドスっ!!渇いた大物のアタリがルアーフィッシング1日目の僕を襲った。なんかかかったぞ!!オロオロしながらも慎重に手繰り寄せると、それは見事な鼻の落ちた年越しの大山女魚だった。今となっては喉から手が出るほど釣りたい希少な魚ではあるが、当時の僕はそんな事良く知らずに、なんか大きい魚釣れたー!!くらいに思っていたと思う。残念ながら写真を撮る前に逃げられてしまい、データとしては残っていないが、僕の記憶に鮮明に焼き付いている。

 釣りもそうだが、心に傷を負ってから、僕は物事をより深く考えるようになったと思う。そして何か作りたい!思いを形にしたい!と思う様になったと思う。人の心は不思議なもので、傷を負った人が独創的な絵を描いたり、文を書いたり、アートで有名になったりというのは、往々にしてある話らしい。決して、傷を負う経験を肯定はしない。辛い経験はしないに越した事はない。しかしながら人は傷から立ち上がろうとした時に、その経験を昇華しようと、創造性というギフトを得るのかもしれない。創造という行為に癒やしを求め、ある意味では世の中からの逃避的な行動が才能を磨くのかもしれない。そう思えばこれが僕にとっての心的外傷後成長、PTG、ポストトラウマティックグロースなのだと思う。釣りの他にも釣具製作や楽器演奏、オリジナルの絵を描く、そして今行なっている、文章を書くなど、きっとこれらの活動は傷を負わなければ、やっていなかったと思う。そう思えば傷つき体験がもたらすものは、マイナスな事だけではなく、プラスな事も沢山あるのだと思う。そうじゃなければやっていられない。

 高校進学中、当時の僕を心配した教育委員会の方が若者の居場所を作ってくれた。そして今、僕の周りには僕を大切にして、愛してくれる人が沢山いる。居場所がある。ずっと欲しかった安らぎがある。そんな素敵な出逢いが沢山あったおかげで、僕はみるみる元気になっている。出来ることが沢山増えている。だからこれからは良いことしかないと思って生きている。僕はここにいる。

 最後に、今、辛い思いをしている人、どん底の渦中に居る人は、どうか生き続けて欲しい。その傷が力となり、自分にとってプラスになる日が必ず来ます。生きていて良かったと思える日が必ず訪れます。生きて、生きて、生き続けてください。まだまだ未熟な23歳、鱒研所長がここに記します。              完