逆境に生きた青春 大海原への航海 

釣りをしたり、畑を耕したり、喫茶店に行ったり。そんなサカポワ島での生活は、のんびりとしつつも、充実していて、僕の傷ついた心も少しずつ癒えていった。今日は島民の集会があるらしい。どうやら、そこでは海賊達に襲われて、この島にたどり着いた、同じ様な経験をした人達が集まると聞いた。僕の経験が誰かの救いになるのなら…と思い、顔を出すことにした。「こんにちは!」公民館の多目的室に入ると、5人ほど座っていた。みな、表情は暗く、まだ傷ついて、日が経っていない様子。その中に、なぎささんの顔があった。「あれ、なぎささん、どうしたの??」「私、この集会をいつも主催しているんです。波の会と題して、月に一度、皆さんの思いを聞いているんです。こういう場でなければ、中々、話せない内容のこともありますし…」確かに、みんながみんな傷ついた人なら、共感もしやすいかもしれないが、こういう経験が分からない人もいる。分からないが故に、傷ついた人に対し、叱咤激励をして、傷ついた人たちがさらに、傷がつく事が往々にしてある。これを二次被害と言ったりもする。心の傷というのは、身体の傷の様な目に見える怪我ではない。そのせいで、誤解や偏見も生じやすい側面がある。傷ついた側からすれば、ただでさえ苦しい思いをしたのに…とがっかりする事が多い。心の病気は甘えているだけ、弱い人がなるもの。なんて意見があるがそれは大間違い。むしろ人よりも我慢強かったり、真面目だったり、誰も味方が居ない環境に置かれていたりと、誰にも話せずに、助けてもらえずに、耐えに耐えた先になってしまうもの。という認識が僕にはある。人の心に踏み込むというのは、それだけ、繊細で慎重なアプローチが必要な事であり、難しい事なのだ。「なぎささん、すごいですね。中々出来る事ではないですよ。」まさに捨てる神有れば、拾う神有り。この場を通じて、救われる人がどれほど居るのだろうか。この様な場を設ける彼女に対して、畏敬の念が湧いた。「そんな事、ないです。私が今、出来る事をやっているだけですから」そう呟くと、「さぁ今月も波の会をやっていきましょう」と、会が始まった。各々、自らの思いを語り合い、分かち合い、共感し、少しでも、背負った荷物を軽く出来る様にと、話し合いは盛り上がった。自分は一人ではない。みんなが居る。と思える事が、どれだけ再び立ち上がり、前向きに生きる勇気を持てるか。想像に難しくはなかった。「波の会…、また居場所がひとつ増えたな。」「そう言っていただき嬉しいです。また来てくださいね」3時間に及んだ話し合いを終え、その場を後にした。