いじめを受けて苦しんだ日々 乗り越えるまでの苦悩と葛藤 前編

さて本日の記事はいじめについて。鱒さん研究所の名のもとに、釣り関連の記事がほとんどではあるものの、今回は筆者が受けたいじめ経験による後遺症と乗り越えるまでの日々を少しまとめようと思います。今、いじめやパワハラ、セクハラ等、重大な人権侵害を受けて苦しんでいる方々に少しでも希望を届けられるように、僕の経験談を喋らせてください。

幼少期の僕はよく可愛がられた。保育園、小学校時代、上級生の子から可愛い可愛いとおんぶしてもらったり、昼休みに鬼ごっこをしたり、かくれんぼをしたり、可愛い人が多かったのでそれは充実した楽しい時間だったのを覚えている。しかし何処に行っても存在するガキ大将的な奴、そして意地悪な兄弟とそれを取り巻く悪友達。あろう事か僕はそいつらのターゲットになってしまったらしい。理不尽な嫌がらせの日々が始まった。僕がそこに居るだけで、汚い、どっか行け、調子に乗るな等、言われのない罵詈雑言を浴びせられ、かなりの水量の用水路に落とされそうになったり、勝手に言い掛かりをつけて始めた喧嘩を、僕のせいにされる事が多々あった。何も悪いことをしていないのに、謝れ!謝れ!と僕が謝るまで怒鳴られ続けた事もあった。優しかった僕が羨ましかったのか、なんなのか知らないが、嫌がらせを受けた僕の心は悲鳴をあげて、苦しみに蝕まれていった。明るく活動的な性格も影を潜め、暗く神経質な内の世界に篭る性格になっていった。人が好きだった。しかし人が信じられない。怖い。そんな矛盾した心を抱える様になり、それはそれは苦しかった。人を苦しめる事になんの抵抗もないのだろうか?なぜ人の心を壊す様な行動を平気でとれるのだろうか。疑念と怒り、悲しみが渦を巻き、螺旋階段の上から下まで一気に転げ落ちる様な衝撃が僕を襲った。そんな日々から逃げる様に学校が終わっては仲の良い友達と外で遊んだり、ゲームをしたり、楽しい時間も確かにあった。気心の知れた友人と虫採りをしたり、秘密基地を作ったり。そんな時間が嬉しかった。しかしながらいじめのダメージが重なったのか、なんで生きてるのだろう??僕は何者なんだろう??人格否定から来る、憂鬱とした感情が度々、僕を支配する様になっていた。

いじめという行為がもたらす影響を脳科学の観点から説明してみよう。ざっくり言うと人の脳には内側から、爬虫類の脳、ここは食べたり、眠ったり、異性と交わりたい、といった人間の本能的な欲求を司る脳。そして哺乳類の脳、ここは喜びや愛、怒り、恐怖、悲しみなど、情動を抱く脳。そして人間の脳、ここは、思考や創造力、知能や記憶、未来に対する目的を抱く等、人をもっとも人たらしめる脳の3つに分ける事が出来る。いじめはこの脳のどこに最もダメージをもたらすか。答えは爬虫類の脳だ。ここにダメージを受けるという事は、食べる、眠る、交わると言った基本的な生命力そのものを弱らせてしまう。という事になる。いじめを受けた人が引きこもりになったり、自殺願望を抱いたり、内向的になってしまったりするのはこの為なのでは?と筆者は踏んでいる。そしてその傷が後の精神疾患発祥の原因になったりもする。そういじめはその人の生命力そのものを奪い、後の人生をも左右する本当に罪深き行為なのだ。筆者もその影響からか、13歳の時に学校に行けなくなり、その後10年間に渡り、精神的不調に苦しんだ。また人や社会は信じられないという感覚を植え付けられる為、人間不信、社会不信といった感情にも長い間苦しんだ。筆者は脳科学者ではないので、ざっくりとした経験談と知識しかお伝え出来ませんが、同じ経験をされた方に、貴方は少しも悪くないのです!と少しでも救いの手を差し伸べられたら、嬉しく思います。

さて前編ではハードな経験がもたらす悪い影響について、かなりネガティブな話題が続いてしまいましたが、後編ではそこから抜け出す為に、救いの手を差し伸べてくれた人の話、苦しい体験が磨いた才能、逆境が人にもたらす前向きな変化、ptgや創造性の向上について書きたいと思います。お楽しみに!