雨のち晴れ。長いトンネルに居た僕が、出られる時。

 おはようございます。今朝の記事はいじめについて。10代の頃の経験により、心に深い傷を負い、うまく社会に馴染めない日々が続いた筆者。いじめられる経験というのは想像以上に僕の心を壊し、後遺症とも言うべき症状に長い間、苦しめられてきました。フラッシュバックが起き、いじめられた当時の映像や、感情があたかも今ここで起きている様な感覚や、身近な異性や人間から、暴力や暴言を受ける事で、人や社会は信じられない。という感覚を植え付けられてしまいます。明るい未来を描けなくなり、精神的バランスを崩す事で、就学や就職がとても困難な状況が長く続いてしまいました。なぜ善人が苦しまなければ、いけないのか、悪人達の浅はかな感情により、人生を破壊する程のダメージをなぜ負わなければいけないのか。許せないと言う気持ちと、なんで僕がという、怒りや加害者に対する恨みは日に日に増し、日々の生活に暗い暗い影を落とし、苦しむ僕を支える周りも同じくらい苦しんでいたと思います。みんな僕を嫌っているのではないか。僕の幸せは誰も望んでいないのではないか。人は僕を嘲笑う。外に出る度、頭がざわつき、自分でも分からない苦しさと共に帰宅する毎日でした。集中力も落ち、簡単な作業も、勉強さえ手につかない。僕は何も出来なくなってしまった。息こそしているものの、心はごっそりと奪われて、殺されている。いじめによる二次的障害により、どんどん生活の質が落ちていくのを感じていました。なんで生きているのだろう?僕の存在意義ってなんなんだろう?ありのままを否定される経験は、確実に心を蝕んでいきました。どうにかこれを乗り越えなければいけないと、思っていた時、ひたすらに話を聴いてくれる、ただ寄り添ってくれる存在が僕に出来ました。暗雲立ち込める空に、一筋の光が差した瞬間、錆びついた僕の心が、少しだけ動く気がした。そこからの回復は早かった。何が辛かったか、どれだけ苦しかったか、うんうんとただ共感してもらった経験は、ズタズタに裂かれたボロ雑巾を、綺麗に洗い、縫い紡ぐ様な、癒しをもたらし、戦慄と恐怖が渦を巻いていた僕の心に、愛と優しさを注いでくれました。生きていてよかった。悔し涙が嬉し涙に変わる瞬間が沢山訪れました。傷が塞がり、できる事が沢山増えました。人や社会が怖くなくなり、1日元気に動ける様になれました。支えてくれる人が、仲間が沢山出来ました。これが如何に儚く、尊いもので、壊してはならないか。羨ましい、面白くない、という理由で僕をいじめた貴方達へ。これから何もなく生きられると思わないでください。一生をかけてその罪を償い続けてください。人を壊した自分にひたすら反省をしてください。二度と僕の人生に踏み込まないでください。そして、辛い思いをされた方々に向けて。発信する事を恐れず、沢山の人に話をしてください。聴いてもらってください。自分の好きな事に夢中になり続けてください。息をするだけでも花丸です。光が差す時が必ず訪れます。自分を大切に、生きて生きて生き続けてください。共に乗り越えて、喜びや幸せを掴み取りましょう!           鱒研所長。