交わした約束 20年後の再会

ザッ、ザッ、ザッ。無心で山道を歩く。日の出前の暗い時間帯、山は静かだった。「目的の滝まで、まだかなりの距離があるね。」「はい。」静寂がまだ見た事のないヌシへの期待と、緊張をより強く感じさせた。子供の頃を思い出すと、山は楽しい場所でもあり、怖い場所でもあった。山に入る時は、人間の世界と、野生の世界を隔てる大きな境界線を跨ぐ様な、独特な感覚があった。大人になると感じない事も、子供の時はより強く感じ、大人には分からない不思議な世界が心に広がっていた。それは子供ならではの空想の世界なのかもしれないし、汚れのない純粋な心が見せていた、現実なのかもしれない。空想と現実を行ったり来たり。まだ釣った事のない魚に想いを馳せ、心の底からワクワクする経験。歳を重ねれば重なるほど、心の隅に追いやられ、忘れていく感覚にすぐ戻れるこの鱒釣りは、僕の人生の一部であり、僕を形作るピースでもあった。社会の誰かが作り出した型枠に自らを捻じ曲げる内に、大事にしていた心は、どこかに置き去りにされていた。その時々が、見るものが、感じられるもの全てが新鮮で、五感を最大限に使い、一日、一日を深く味わいながら生きていた。馴染むとか、空気を読むとか、そんなしがらみが無かった心に戻りたかった。その心がこの一夏で、少し思い出せた気がした。「早苗さん、僕は大事なものを思い出した。いや、取り戻したんだ。それを思い出させてくれたのが、貴女だ」「分かります。私が岩魚荘に来たばかりの時の貴方より、ずっと生き生きしてますよ。」時に錆び付き、動かなくなった様に見えた心も、強さや優しさを兼ね備えまた輝き出す。自然にはそんな力がある。「僕は幸せに生きます!」「はい!」

                  続く