交わした約束 20年後の再会

夕陽が沈み、夜の帳が下りる岩魚峡。釣り上げた岩魚を持ち帰り、岩魚荘の裏手にある池に放した。川魚を新鮮な状態で出したいという父さんの思いから、子供の頃、一緒に穴を掘って作った人工の池。湧水を引っ張り、真夏でもキンキンに冷えた水がこんこんと流れてくる、冷水を好む渓流魚にとって、最適な放流環境だ。「これで良いな。」ひとまず、週末のメインディッシュを確保できた事にホッとした。さぁてお次は…古いランタンの灯りが居間にボぉっと、光る。夜になっても昼間の様に明るい都会と違い、真っ暗闇に灯り1つ。なんとも男心をくすぐった。経営ノートをパラパラとめくる。「次はお釜でご飯を炊く練習かな」驚く事に、この岩魚荘、炊飯器がない。お釜で炊いたご飯を出すというのがまた父さんのこだわりだったらしい。まだ家電が普及しない昭和なら頷けるが、平成になっても、「そんなもの要らん!」と貫き通す姿に、感心半分、呆れ半分だった。母は日常茶飯事な事としてそんな姿を全てを受け入れていた。やめろと言ってやめる父ではない。父の好きにさせた母の心の広さに、ただただ頭が下がった。岩魚荘の横、正面玄関から回り込んだ左側の壁際に、薪置き場がある。まだまだ沢山のストックがある為、そこから薪を運び、火を起こす準備を始めた。かまどの中に井桁に薪を組み、杉の葉を隙間に詰めた。杉の葉は天然の油でよく燃えるので、着火剤として最適だ。マッチ棒を擦り、そうっと火をつけると、パチパチと音をたてて、薪が燃えた。ボタン一つの生活も確かに便利で良い。便利さを否定するつもりはない。しかしながら、その便利さと引き換えに心の豊かさは次第に失われていったのかもしれない。時代という大きな波に飲み込まれなかったこの場所で、そんな事を思い、ご飯を炊いた。満点の星空に囲まれた岩魚峡には、モクモクと一筋の煙が立ち登るのだった。僕はモグモグと1人星を眺めながらご飯を食べた。             続く