長期的目標と、目先の努力。いじめっ子といじめられっ子。

 こんばんは。僕です。今日考えてみるのは、長期的目標と目先の努力について。理想と現実、夢と現実の調和について、僕なりの意見を書いていきたい。

 人はこうなりたい!と、夢を描く。例えば、ポルシェに乗りたい!と夢を描いたとする。しかしながら、いきなりそれが叶うはずもなく、今の僕は…と落胆するかもしれない。人は理想と現実のギャップが大きいほど、落ちてしまう生き物である。メンタルの安定と、コンフォートゾーンを抜け出す事のバランスを考えると、やはり人は慣れ親しんだ所を選ぶ。昨日と同じ道、昨日と同じ行動、感情…。安定を選びたがるのが人である。でも!それを続けていては夢は叶わない。でもいきなり現実は大きく変えられない。僕もそこに長い間、葛藤してきた1人。

 僕が最近になり、バランスがとれてきたなと思うのは、この辺りの考え方が柔軟になってきたからかもしれない。僕が大事にしているのは、長期的な目標やいずれこうなったらいいなを思い描きながら、目先の努力を積み重ねる事だ。メンタルを壊す前は得意だったかもしれないが…。マッチョになりたい→毎日のトレーニングの積み重ね。絵が上手になりたい→毎日、絵を描く。ヌシが釣りたい→川に通い詰め、ざっくりとその川の傾向や魚の動きを知る。山崎まさよしのように弾き語りが出来るようになりたい→ ギターを練習する。

 上手な絵も、楽器演奏も、ヌシを釣るのも、マッチョな筋肉も、1日、2日で修得出来るわけではない。無論、良く泳ぐルアーもだ。そこには、地道な練習がある。ちょっと自慢ぽくなってしまうが、昔から1人遊びが好きな僕、結構コツコツやるのが得意だ。学生時代、なんの努力もせずに人をいじめて、いい気になっている人間を見て、こんな僕はおかしいのか…と深く悩んだ事があった。がやはり、いじめる人は弱いというのが分かった。努力出来ないから、いじめという、仲間外しという、短絡的で頭を使わなくても良い、猿でも出来る行動に出るのだ。だから、陰キャだなんだといじめられている人は自信を持って欲しい。地味でも、目立たなくても、一人で行動出来る人間は強い。

 少し話題がそれてしまったが、今に集中するマインドフルな生き方で、努力を重ねつつ、いずれこうなったらいいなを描く生き方が結構楽しい。地味な努力は苦しい時もあるが、やはり手をかけた分、伸びる時の嬉しさや達成感も大きい。そして時間をかけた分、基礎が出来ている事に気づく。すぐに快楽が得られる娯楽、ゲームも確かに楽しいは楽しいが、現実逃避でしかない。最近、闇バイトという言葉を耳にした。短時間高収入!という謳い文句で、どうも犯罪行為まがいな事をさせられるらしい。大学生の間などで、どうも流行っているらしいが…。地道な努力がかっこ悪く、手っ取り早く結果を出すのが、かっこいいという風潮だそうだ。僕は少しかわいそうだなと思う。地道な努力を重ねる楽しさや、その先に得られる長期的な幸福を知らないのだ。失敗=ダメな事。という教育も、この風潮を作り出してしまった一因かと思う。失敗を重ねる事も、成功体験の積み重ねの一部なのだ。最初からうまく出来る人なんて一人も居ないのだ。

 いじめる人は若い時は小器用に生きてるかもしれない。だが、その間いじめられながらも、コツコツと力をつけた人にいずれ圧倒的な差をつけられる。だからいじめられている人は自信を持って欲しい。負けずに胸を張って努力を重ねてほしいと思う。どこに行ってもいじめられた僕が言うだから間違いない笑 

長期的目標+目先のコツコツ努力。これからも出来る事を増やして行きたいと思う僕です。