何処にいてもいじめられた僕

いやぁ、僕には才能がある。どんな才能かって??それは何処に行ってもいじめのターゲットにされる才能だ。大人になった今、強くNO!も言えるから、それは無くなったが、子供の時は、それはそれは悲惨とも言えるいじめられっぷりだった。理由は正直言って、さっぱりわからない。ただそこに居るだけなのだ。何もしていないのだ。なのに、目立つ!変人!キモい!容赦ない言葉を浴びせられ、なぜかハブられた。もう一度言う。僕は何もしていないのだ。普通にしているだけなのだ。ただ、小学校に入学した時、当時6年生の女の子達から、異常なくらいモテた。可愛い可愛いって言ってもらって、昼休みになればおんぶしてもらい、学校中を走ってくれた。運動は苦手だったけど、勉強に困った事はない。今思えば、きっと羨ましかったのだろう。変に運が良い所もあったから、目立ったのかもしれない。図画工作の時間の作品も、気持ち悪いと集団で罵られた事があった。今思えばそんな事する方が、気持ちが悪い。圧倒的に、人間的にレベルが低い。いじめられる事は、非常に不愉快で理不尽な事だが、ある種それだけ目立ち、人にないものを持っているとも言える。今は、いじめられるのもある種の才能の片鱗だと思っている自分が居る。小学校を出れば終わると思っていたが、中学に行っても、専門学校に行ってもそれは起きた。当時は僕が何か悪いのだと思っていた。でも自信を無くす事はない。個性は宝なのだ。いじめられる方が圧倒的に、レベルが高いのだ。専門学校中退後、僕は芸術の世界に走り、ギターの弾き語りで沢山の人に褒めてもらったり、描いた絵が世界に認められ出す。一方、いじめていた側はどうだろうか?と冷静に考えると、警察に捕まったり、大した人生を歩んでいないのに気づいた。当然、そんな事する人間はf1ドライバーになんかなれるはずもない。群れ、人をハブるのは、正直猿でもできるのだ。1人でも行動できて、集団からいじめられても耐えられる人間の方がよっぽど強いと思っている。そちらのほうが、学生時代はぱっとしなくても、社会に出てから活躍出来ると信じている。だから自信を持って、胸を張って生きよう。僕は生粋のいじめられっ子だ。いじめられるのは才能だ。