社会からの積極的分離。

おはようございます。僕です。今日のテーマは社会からの積極的分離について。さて、10代の頃は中々同世代と合わない感覚が強く、悩んでいた僕。特にこの日本の社会において、僕らを不幸にしている考え方…それは人目、空気という謎の文化です。自分のやってみたい事があっても周りに何か言われるのが怖いから、やらない。行動しない。でも何かあればみんなが…まわりが…社会が…。どこか思考停止して、責任を放棄する生き方が正しい。みんな我慢して嫌々やっているのだから…。不登校児が年々増え続け、いじめ自殺や引きこもり等、理由は様々だとしても、やはりみんなと一緒になりなさい。足並みを揃えて生きなさい。という教育が僕たちから思考力や行動力を奪い続けている気がしてならない。みんなと同じが良いは、企業が大量生産し、それをすればするほど豊かになった時代の話。モノに溢れた現代、何か社会が自分らしさや、自分に合った生き方をと思いながらも、まだそこから抜け切れていない窮屈さを感じる時があります。あいつは人と少し違うからいじめてやれ、やれ人よりも抜きでているから、足を引っ張ってやれ。そんなの幸せなんでしょうか??意地が悪いとしか思えません。それぞれが自分に自信を持って生きていたらそれで良いだけの話…。お互いがお互いを監視して縛り合う様な生き方はナンセンスです。かくいう僕も変人!変人!と言われ、自信をなくしてしまった1人。何が変で何が普通か、正直なところわかりませんが、この社会からはみ出したというのは、正常な反応かも知れません。真っ当に努力して、才能を磨く人間が足を引っ張られるのは異常です。積極的分離とは、社会から一歩離れ、社会を俯瞰し、より良い生き方を出来る様に自分を再構築する事です。自分の中に取り込んできた、常識や世間体というものを手放し、本当は自分は何がしたかったのか、この先何を成していきたいのか、考える事です。自分がやりたい事をやろう!と思った時、ずっと人並の意識が強かった人ほど、恐怖に駆られ動けなくなった筈…なぜなら僕がそうだったからです。しかしながら、自分で選び自分で動くという至極当たり前の事を積み重ねた先に、人並や世間体といった概念が少しづつ自分の中からデトックスされているのに気がつきました。少しずつ、思考や感情がクリアになり自分の気持ちやビジョンが見える様になってきました。大きな目標に向かい長期的な努力が出来る様になってきました。そして生活から充実感を得られる様になりました。いじめっ子よりもいじめられっ子の方が後々成功するんです。僕のやりたい事は頭の中に浮かんだものを形にする事、このブログしかり、ルアー作り、絵画制作、音楽活動などなど、これら活動は自然とビジネスの練習にもなっているのでは??と感じています。所長、遅れてやってきた青春を楽しむと共に、毎日出来る事を増やしていきたいと思います👍