have to 思考からwant to 思考 同調圧力について思う事。

 今晩は。皆さん、暑い日が増えますが如何お過ごしでしょうか。魚釣りの記事はもちろん、それ以外のプチ小説や、コラムなど充実してきた当ブログですが、今回のテーマは、僕の思考回路について。ここ1年くらい、努めてそう考える様にして生きてきて、圧倒的に自分の軸というものが出来てきた為、その事について書いてみます。

 学生時代や、会社など、特に僕たち日本人は他人の目を気にしがち。天真爛漫に、自分を表現出来ていた子供時代とは違い、歳を重ねるほど、流行りや時代、世間体といったバイアスにかけられて、自分の意見を言う、思った事を形にするというのが難しくなっている人も多いのではないでしょうか。なんとなく人目を気にして、これをしたら周りがどう思うかな…なんか変な事言われないかな…なんて、行動に移す前から、自分でブレーキをかけてしまうこともあり…。それが日本人の幸福度を下げてしまっていると僕は考え、この1年くらいは特に自分がどうしてみたいかを努めて問いかけ、行動する様にしてきました。世間体や人目といったバイアスはないものとして、自分のアイデアに集中すると、面白い絵が描けたり、ルアーの形が思い付いたり、文章が思い付いたり、そしてそれを形に出来る様になり、日々の生活が楽しくなりました。今の日本の社会はまだまだ自閉的で回避的な部分が、多いにあるなと感じていた10代。当時はまだまだ力も無く、自信も無く行動する元気もなくといった感じでしたが、今は心の傷も相当に癒えてきて、エネルギーもあり、やりたい事が出来る様になってきました。こうあるべき→こうしてみたい、こうしてみたら面白いと考えて、行動する方が絶対に楽しいです。整い便利な社会は見方を変えると、異質なものを排除し、人と同じに安心する閉鎖的で保守的な社会かもしれません。

 ここで僕の専門学生時代のエピソードをあげます。僕は自動車関係の専門学校に通っていた事がありました。レーシングカートを用いた走行実習の時、雨が降っていた為、ツナギのタイプのかっぱを着ていました。模様が何も入っていなく、面白くしたかった為、ネットでフェラーリのワッペンを頼み、それを貼り付けていました。なかなか渋くカッコいいツナギになり、満足していました。それを着て実習に挑んだ所、見つけた同級生が陰でコソコソと、「うわ、あいつフェラーリのワッペンつけてんじゃん。先輩になんか言われるよ…こそこそこそこそ」んん??何か問題でもあるんでしょうかね。車好きが集まる学校じゃなかったっけ??ここ??その日から、ハブられる様になり…。そんな小さな事で、人をハブり、悪口を言うのかとがっかりしました。自信がなく、自分で決める事の出来ない可哀想な奴らなんでしょうね。器が小さすぎて、反吐が出ます。男のくせに群れて、グループを作って、そうじゃないと行動出来ない小さな奴らなんです。そいつらは大したレーシングドライバーにもなっていない様でした。というかなれないです。そんな奴。日本の学校カーストやらいじめやら、その片鱗を垣間見た気がしました。そんな変な奴らのせいで、きっと自分を押し殺して、元気を無くして辛い思いをしている学生や社会人の方が沢山いると思うんです。自分のやりたい事はこれじゃない…でもみんなが…て我慢している人が大勢居ると思うんです。しかし声を大にして言いたい。そんな奴らが間違っているんです。堂々と自分のやりたい事や、表現したい事を表現すればいいんです。勿論、人様に迷惑をかける様な表現の仕方はNGですが。

 同調圧力に屈して、自分を殺して生きるのは、もったいない…と思い、勇気を出して行動した1年。学生時代より、遥かに楽しく生きられている自分が今ここに居ます。いじめられたり、ハブられたりすると自分で変なのかな…て自信を無くしがちですが、大丈夫。そんな悩みを今、抱えられている方に向けてアドバイス。小さなことでも、自分で選んで行動してみる。と言う事を積み重ねてみてください。きっとみるみる自分が好きになり、元気になる筈です。ああ、僕は、私は本当はこれがやりたかった。って少しづつ感情や思考がクリアになり、生き生きして来るはずです。

 べき思考から、みたい、したい思考に。コロナ禍が在宅ワークを促進させ、1人の時間が増えた今、じっくりと自分の思いに耳を傾けてみては、如何だろうか。地の時代〜風の時代に変わりつつある今、個の活躍や幸せが、結果として社会をより良く、楽しい場所にして行くと、僕は思っている。