オセロの黒と白。

 僕は粘り強いタイプだと思う。何事も好きな事、やってみたいと思った事は、出来る様になるまで努力する。自分の事が弱いと思っていたが、どうやらそれは全く違うらしい。いじめでつけられた心の傷が僕の心から生きるエネルギーをひたすらに奪っていただけらしい。鱒釣りしかり、ギター演奏しかり、絵描きしかり。振り返ると僕はいつもどこに行ってもいじめの対象になった。それは人間不信や抑鬱という困った症状として、僕の心に不調をきたした。社会に上手く適応が出来なくなり、家の中で目立つ事を恐れて、ひたすらに息を殺した。いじめというのは、強い人間がやる事だろうか?と考えた時、やはり学生時代は不良が強い人の風に見える。でもそれは見えるだけで事実ではない。腕力的な強さを誇示する事でしか自分を表現出来ない人間が、社会で通用するだろうか?と思った時、そんなものプロボクサーにでもならない限り、意味がない。身体は人を傷つける為にあるのではない。頭で考え、何かを生み出し、人を助ける為に力をつかう。自分がカッコ良いと思った生き方を実現する為、その足で色々な場所に行き、何かを掴み取る為にある。

 いじめる人間はあの手この手を使い、自分を落とそうとしてくる。お前は陰キャだから、お前はこうだから…さも人の事を全て分かっているかの様に、自分達の蛮行を正当化してくる。そんなものたまったもんじゃない。時に僕は、そんな影に飲み込まれ、自分を見失っていた時があった。人が怖くなり、1日元気に動く事さえも困難になり、殴られ、蹴られた身体は全くと言って良いほど、制御が効かなくなった。僕は生きるのが下手なのか…とも思い、何度も自死を考えた。負けてたまるか!そう思い、絵画制作、音楽活動を始めた。最初は不器用で、どちらも思う様には出来なかったが、毎日練習すると、そこそこのレベルまで上達し、沢山の人が褒めてくれるまでに成長した。オセロの黒がみんな白にひっくり返る感覚になった。それ見たことか。どちらがカッコいい生き方は歴然だった。

 水戸黄門の様な正義が勝つというのが、必ずしも世の中の全てでは無いかもしれない。時に汚く、ずる賢く、生きる人間が得をして生きている風に見えるかもしれない。しかしながら、会議の席で口をへの字に曲げ、人の揚げ足を取る様な生き方がカッコいいだろうか。人から力づくで奪い、勝った気になる生き方が美しいだろうか。僕は全くそうは思わない。

 音楽や絵描き、鱒釣り、ルアー製作は毎日のコツコツがいつしか大きな力となる事を僕に教えてくれた。いじめられて、とても苦しかったけど、今僕は自信を持って生きられる様になった。これからもオセロの黒を白にひっくり返して生きて行きたいと思う。