人は種を蒔きながら生きている

こんにちは。今日の記事は、人は種を蒔きながら生きている。について。最近、ぼくが感じる人生観というか、価値観というか。人生って、結構単純なんじゃないかと思っていて、一生懸命という種を蒔けば、一生懸命という木が育ち、一生懸命という植物が周りに生えてくる。アートという種を蒔けば、アートという木が育ち、アートという植物が生えてくる。不平不満という種を蒔くと、不平不満という木が育ち、不平不満という植物が周りに生えてくる。悪口という種を蒔くと、悪口という木が育ち、悪口という植物が周りに生えてくる。自分の人生を心地良いものにする為にも、僕は人をなるべく褒める様にしている。人を褒めると相手が喜んでくれて、なんだかこちらまでいい気持ちになる。「すごいね!」「上手だね!」「ありがとう!」ただ言うだけ、至極単純な事なのだ。夢に向かって頑張る人、笑顔で生きてる人には、同じ様な人が周りに集まり、また不平不満、悪口を言う人には、やはり同じ様な人が集まっている。毎日毎日、それが積み重なっていくのだから結構怖い。人を虐めたら、絶対自分に返ってくるし、人を大事にしたらそれもまた、自分に返ってくる。何気なく、「あいつは…」なんて知ったかぶり、人をジャッジしていると、それもまた、いつか自分がどこかで「あいつは…」と言われる種を蒔いているのだ。自分で墓穴を掘り続けているのに、気がつかないのが、側からみると結構滑稽に見えたりする。だから、恐る事はない。「ぼくはこうしてみたい」夢を語ると、絶対、何か言う人が現れる。足を引っ張ろうとする人が現れる。でも、そこで落ち込む必要はないのだ。必ずそれ以上の応援してくれる人、援助してくれる人が現れ、気がつけば、そんな人は近寄って来れなくなるから。学生のノリでカーストなんてものがあるけど、あんな腐ったもの全く気にしなくていい。小さな箱の小さな小さな社会に過ぎない。そこに馴染めない自分を卑下することなんて全くしなくていいのだ。臆病な者ほど群れたがる。そして強がっているだけで、一人だと何も出来ない事が多いのだ。群れる事に安心を覚えて、思考停止する事が、いかに不幸かわかっていないのだ。だからぼくはコミュニティに属するとしたら、もっとお互いを認めて、褒める様な場に身を置きたいと思っている。その方が居心地が良いに決まっている。なぜ皆から浮かない様にと、人の顔色を伺い、立場を気にしながら、汲々として生きなきゃいけないのだろうか。そんなの誰が始めたのだろうか。人間性が低いにも程がある。僕はどこにいってもハブられる事が多かったけど、自信を持って生きたい。そしてカッコいいと言う種と、幸せの種、楽しいの種、思いやりの種、創造の種を蒔きながら生きていきたいと思っている。そっちの方が充実した居心地のいい人生を過ごせる筈だ。