幸せに生きると決めた日。

幸せとはなんだろうか??と問う。モノに溢れることだろうか?それもあり。ブランドで身を固める事だろうか。それが幸せな人もいる。好きな人と毎日居られる事だろうか。それも凄く幸せな事だ。一流企業に就職する事だろうか。それもあり。僕自身、大学に行き、就職して、家庭を持ち、順調に生きる事が幸せだと思っていた。しかしながら、それは様々な障害により、叶わなかった。高校を出るのにも、人一倍時間がかかってしまった。心に傷を負い、当たり前の日常が送れなくなる経験をした。ふと思った。誰もが幸せと感じる状況で幸せだと思うのはとても簡単な事だ。満たされていて、何不自由ない生活が送られる筈の先進国でありながら、幸福度ランキングが低いというのは、何故だろうか。そう思う時、皆がその価値観を盲信してしまっている事に、原因があるのではないか。そう思わずには居られなかった。勝ち組、負け組、年収がいくらか、どんな家に住みどんな車に乗っているか。たしかに大事な要素ではあるかも知れない。僕だって稼ぎは沢山あったほうが良いと思っている。ログハウスに住みたいし、スポーツカーにも乗りたい。しかしながら、スタートラインにすら立てなかった期間が長かった。人や社会が怖い。この経験が何を教えてくれたか。本当の幸せとは、いざという時、助けてくれる人が周りに一人でも二人でも居てくれる事なのだと思う。土砂降りの雨に打たれない様に、そっと傘を差し出してくれる人が側に居てくれた事だと思う。トンネルから抜け出るには、自分の力だけでは、到底不可能だった。自分一人でなんでも出来ると、思っていた時期もあったが、それは周りの支えあってこそ成せる技だ。釣りだって、知識であれ、道具であれ、先人達が試行錯誤し創造し、受け継いで熟成してきてのものだ。決して自分一人の技術や力で、成立しているわけではない。豊かなフィールドがあり、そこに生きる生き物が居て、そこに僕ら人間がちょっとお邪魔して、糸を垂らして居るに過ぎない。自分の力はとても小さい事に気づく。でも小さい力が沢山集まったら、大きな力になる。それは大きな障害、壁と思っていた事さえ、乗り越える力になり、奇跡を起こす。釣るのが難しいヌシを仕留めたり、大きな心の傷を癒したりする。生きとし生けるもの全てが、互いに生かされ合っている事に気づく。それでいいのだ。それが幸せなんだ。だから自分で自分を殺すのは、皆んなを殺す事になる。とてもとても罪深い行為だ。だからそれだけはしないって決めた。豊かさを享受し、幸せになると決めた日。僕はこれからも夢を追いかける。