いじめ後遺症と向き合って

 こんにちは😃僕です。梅雨らしい日が続き、九州では大変な思いをされている人も多いとか…。遠くからですが、早く安心できる生活に戻れますように、お祈りしています。さて今日のテーマはいじめ後遺症について。ちと重たいですが、お付き合いください。いじめ後遺症…と向き合い続けた僕。長い間、不安、抑鬱、人格の変化と戦い続け、なんとか健康な心身を取り戻してきました。学業、仕事、全く続かなくなってしまい、正直言って人生が大きく狂う傷を背負わされていました。殴られ、蹴られ、暴言を吐かれる事は僕の心を確実に蝕み、生きる力を残酷に奪っていきました。最も顕著に現れたのは僕なんか…という低すぎる自己評価と、自分は汚れてしまったという陰性自己概念、そして、感情のコントロールが出来ないという症状でした。毎日、毎日同じ気持ちで目が覚め、気がついたら今日も同じ部屋で、同じ1日、YouTubeをひたすら見続けるという暗く辛い日々でした。外の人間はいじめっ子の言う事を完全に信じきって僕が白い目で見られ、同世代が居る学校には行けなくなりました。なぜ僕がここまで傷つけられなきゃいけないのだろう…、心は確実に悲鳴を上げ、ある日自分で命を絶つ事を決めました。こんな世の中は生きる価値などない…さようなら。僕は苦しみから逃れるべく死を選びました。目が覚めると病室の壁が見えました。あぁ生き残ったのか…。そんな思いでした。明るい将来は二度と訪れない。僕の人生は終わったんだ。理不尽な怒りと、悲しみで涙すら流せなくなり、心はズタズタに壊れていました。

 中学時代、運動も勉強も頑張って、夏は汗水垂らして陸上の練習をし、テスト期間は勉強に励みました。1年のブランクがありつつも2ヶ月で学力を取り戻して、また立ちがった。でもまた壊された。何度人の心を壊したらこいつらは気が済むのだろう…。僕が何をしたって言うのだろう。被害者に待っていたのは、世間からの偏見と非難の日々でした。僕は何もしていない!訴えようと思っても、訴える気力すら湧かず、楽しみに気分転換をしようと思っても気分も何も変わらず、生き地獄のような日々でした。もっと勉強がしたかった。もっと運動がしたかった。当たり前の安心で安全な日常を生きたかった。ただそれだけ。なぜ皆の幸せを願い穏やかであろうと生きる者が犯罪者の様な扱いを受け、その後の人生を狂わされなければいけないのか。そんな理不尽が罷り通っていいのでしょうか。何度思ったか分かりません。

 しかしながら、お天道様は見ていると言う言葉があるように、僕には沢山の支えてくれる人が出来、居場所が出来ました。誰にも描けない絵が描けるようになり、色んな事がまた出来る様になりました。きっと加害者は今、窮屈な思いをして生きているでしょう。そしてこれからどんどん窮地に立たされるでしょう。その間、僕はどんどん力をつけて、前に進みます。沢山の経験をして人間として成長していきます。居なくなろうとしても生きていたのは、大切な人と再び出会い約束を果たすためでしょう。

 人を壊し、根も歯もない噂を広め勝った気になる人生と、壊され逆境に立たされながらも歯を食いしばって生きて、最後に笑える人生、どちらが美しいでしょうか。いじめる人に言いたい。そんな事をして幸せか?勝った気になる人生は充実してるのか??

 そして何よりも僕は支えてくれる人達に感謝したい。このブログの読者さんをはじめ、日頃からサポートしてくれる沢山の仲間に心から感謝したい。ありがとう。僕はこれからも元気に生きていきます。