解禁を迎えました。2024season開幕

写真は2年前のものですが…今年も無事僕のホーム水系も解禁を迎えました。この間、偵察に久々に川に行きましたが、新しいポイントが出来ていたり、過去消えたポイントが復活していたりと、楽しみ要素が沢山あり、今シーズンも期待が出来そうです。僕の心も相当に元気になり、生涯の釣り目標 50イワナ←達成。お次は40ヤマメを目指して、ハンドメイドのテストもしたいな👍創作活動も含めて、充実した2024seasonにしたいと思い鱒🐟🐟

交わした約束 20年後の再会

ゆきむらとの出会いもあり、穏やかで充実した夏が過ぎた。忙しく過ごしていると、目の前の事にいっぱいいっぱいになりがちだが、岩魚荘に帰ってきて初めての夏、自然に触れる内に疲弊した心も体もすっかり元気になり、イラつきやすい僕の性格は随分と穏やかになった。雲海を見ながら目覚め、昼は空を眺め、夕方はひぐらしの合唱を聴きながら、炊事をする。満員電車に揺られ、毎日余裕の無い生活をしていると、足元に咲く一輪の花にも気がつかない。でもここの暮らしは違う。人、自然、動物、物こそ溢れていないが、その一つ一つが美しく感じられ、現代人が忘れた自然と調和がとれた生活がある。心の豊かさは自然が育む。その自然を蔑ろにする事は、自らの心を蔑ろにする事に等しい。父が教えたかった思いがまた一つ分かった気がした。

「早苗さん、ルアーの制作は順調かな??」「はい。岩魚峡水系は、大岩が連続し要所要所にかなり深さのある淵が連続する言わば山岳渓流です。小さなサイズでストンと潜るタイプのルアーが使いやすいかなと思います。また鱒は大きくなればなるほど、その警戒心もずば抜けていて、カラーはダークなものが良いかなと思います。」

「なるほどね。流石の分析だね。」

「はい、鱒は水系毎に多少の癖があって、反応の良いカラーが違ったりするんです。同じ岩魚だから同じ色、形に反応するとは限らず、やっぱりその水系に通い詰めて分かる事が沢山あるんです。」

やはり釣りは奥が深い。この膨大な小数点を詰めていった先に素晴らしい魚との出会いがある。数限りないトライアンドエラーの繰り返し。自らの甘えを完全に取り除き、ストイックになる時間。それは生きる力となり、自信をもたらし、成果に繋がる。鱒釣りは人生においても大事な事を僕に教えてくれた。

                   続

 

交わした約束 20年後の再会

わん!わん!「????」わん!わん!「????」「おおーい、岩魚荘のご主人はおるかい?」「はい、なんでしょう?」土間に1人の老人と一匹の白い犬が居た。「わしは、山を降りた所の保健所で手伝いをしとる者なんだけど、飼い主が見つからなくてな。このままだと殺処分になってしまう。可哀想で可哀想で見ておられんくて、ここに連れてきてしまった。すまんが、お前さん飼ってくれんか。」まだ生後半年といった所だろうか。僕を見るなり、喜んで足に飛びついてきた。「しば犬ですね?」「そうなんじゃ。わしも歳が歳で面倒を見てやりたいのじゃが、身体も言う事を聞かなくなってきたし」「分かりました。僕が飼います。」岩魚荘に新たな家族が増えた。尻尾をぶんぶん振り、嬉しそうにこちらを見つめていた。「帰りましたー。あれれ?この犬は??」ちょうど早苗さんが釣りから帰ってきた。「いやぁ、さっき山を降りたとこにある保健所のじぃさんがやってきてね…」わん!わん!「まぁ、人懐こい。一匹で寂しかったかな?沢山可愛いがってあげなきゃね」「名前はどうしようかな。白いし、村育ちだし、ゆきむら!お前は今日からゆきむらだ!」わん!わん!戦国武将も驚く名前。「面白い。ゆきむらね。ゆきむらー。」わん!つぶらな瞳と目を合わせると顔中を舐め回してきた。「わぁ、ゆきむら、やめろー。」わん!また岩魚荘が賑やかになった。

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交わした約束 20年後の再会

チリン、チリン。縁側にある風鈴が谷から吹くそよ風に揺れ、遠く見える入道雲は大きく、時折鳴く野鳥の声が、心の透明度をまた一段とクリアにした。岩魚峡…当たり前が当たり前で無い事に気づき、改めて自分の周りの自然はとても貴重である事に気付かされた。灯台下暗しとはその通りで、自分が求めていた幸せは案外足元に転がっている。青く澄んだ空はどこまでもどこまでも続いていて、縁側に寝転びそんな空を眺めていた。「あぁ、幸せだな」疲れた心も幾分癒えた頃、自分の心の豊かさがまた戻っている事に気がついた。飛行機雲が大空のカンバスに自由に筆を走らせ、時がゆっくりと流れた。「鮎夢さん!さっき川を眺めていたらね!」魚釣りに夢中になる少年の様に早苗さんは今日あった出来事、見つけた事を沢山教えてくれた。ふんわりと香るtシャツの匂い…僕は彼女に恋心を抱いていた。数年後、早苗は僕の妻になった。釣りに夢中になる姿に、子どもの頃の自分を重ねているのか、彼女の事を前から知っている様な懐かしい気持ちになった。「僕ね、早苗と出会った頃…なんだか前から知っていた気がしたんだ。子供の頃の自分を思い出したのが、そんな気持ちにさせたのかもしれないのだけど」「まぁ、偶然!私も岩魚荘の主人を始めたばかりの貴方に、私とよく似ている所があるなと思ってたわ」世の中には似た魂を持つ人が居る。それをソウルメイトやツインレイと言ったりするが、同じ想いを持つもの同士が必然的に同じ場所に惹かれ、集まるのかもしれない。彼女との出会いは20年前の自分との再会だった。         

                 続く。

強い生き方ってなんだろう?勝ち負けってなんだろう?

今晩は。僕です。強い生き方ってなんだろう?って真面目に考えてみました。一時期はやった勝ち組、負け組という言葉、僕は大嫌いです。10代〜20代の始め頃まで、誰にも頼らずに生きて行くのが正しいと思っていた僕。プライドばっかり高くて、余り人に弱みを見せず、どこか人を寄せ付けない野良猫の様な部分がありました。人が怖かったです。心が通じる瞬間って沢山あるかと思うけど、どんな瞬間かなと思うと自分の弱みを見せて素直に人に「助けて」と言えた時かなと思います。日本独自の恥という文化もあり、先進国でありながら 若者の自殺率が高いこの日本。きっとみな各々思う部分がありながらもどこか人目を気にして、意見を言えない空気が漂います。インプットは得意かもしれないけど、アウトプットが苦手。言われた事は出来るけど、自分から何かをするのは苦手。出来事や情報を鵜呑みにするのではなく、自分なりに咀嚼し噛み締めて、再構築する。そして発信する。そんなスキルが身に付いたらこの国はもっと面白くなるかなと。もっともっと何があったか、自分はどう思うか、どうしたいか。それが言い易ければ、皆が生きやすくなると思っています。少し話題が逸れました。本当に強い生き方とは「私は、僕は、誰にも弱みを見せずに強く生きる!!」と背伸びをする事ではなく、いざという時に皆んなに「こういう事が大変だから、助けて!」と救難信号を出せる力ではないでしょうか。案外、皆んな助けてくれるもんです。むしろ良く言ってくれたと、心を開いてくれたと可愛がってくれます。そして軽くなった分、心に隙間が出来てまた頑張れます。助けてもらった分をまた違う形でお返しすれば良いのです。社会は生き抜くサバイバルする場所ではなく、お互いが居心地良く過ごせる快適な場所であるべきだと思います。僕がこの数年で沢山の人に出逢い、支えられ、ボランティアに参加する中で培って来た考え方です。本当の強さとは一体なんなのか。川原の考えるヨシがちょっと意見してみました。

交わした約束 20年後の再会

ゴソゴソゴソ。「確かここにあったような…あ、あったあった。」父が使っていた書斎に、山積みになった書類。ありとあらゆる事をメモし記録していたのは、一見適当に見えるその姿からは、意外だった。徹底したリサーチと試行錯誤から生み出される余裕が、そう見せていただけだった。今となってはそう解釈ができる。やはり子供の頃に夢中で追いかけた背中は、間違いの無い尊敬する父の姿だった。山菜採りの場所が記録されたノートに伝説解明へのヒントがあった。「背丈以上の藪 群生地帯。視界悪し危険!!」流石の父親も入れなかった場所があった。藪というのはトラウトフィッシングを嗜む者にとって、避けては通れない。肥沃な土が、植物を大きく強く育む川原は、時に釣り人の侵入を難しくさせる。水辺を好むヨシがその良い例で、四方を囲まれると半ばパニック状態に陥る。進む方向を定め、一気に突っ切るが、好き好んで入る者はそう居ない。しかしピンチはチャンスとなる様に、入り辛いポイントほど釣り人からのストレスが無く、良い魚がかなりストックされている。天然の要塞にヌシはその身を隠し、大きく大きく成長する。伝説が居るとしたら…「早苗さん、父のノートにこんなものが書いてあったよ。もしかしたら、ここに伝説が泳いでいるかもしれない。」ペラペラペラ。「確かに、この場所は気になります!!」「少し怖いけど、装備を整えて、探索してみようか??」「はい!是非!!」そうと決まれば話は早い。オリジナルミノーの制作が終わり次第、探索する事が決まった。ありとあらゆる事を想定してルアーを作るとなると、1ヶ月はかかる。勝負は9月中旬頃。早苗さんと居る時間がとても嬉しく、1人きりで再会させた宿経営だったが、寂しさがグッと減り、心に響く夏になる予感がした。

 

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交わした約束 20年後の再会

子供の頃は父と一緒に良く山に行った。父は何でも知ってるすごい人。この人について行くと色々な事を教えてくれた。植物の事、山菜の事、渓流魚の事。小さな体の僕にとって、それは山の漢そのもの。僕の憧れだった。思春期を迎え、街の子供達と遊ぶ様になり、山に入る事はめっきり減った。遊びの対象は釣りからテレビゲームやアニメに変わり、最新のゲーム機や家電がある友達の家が羨ましかった。そして古民家の自分の家をなんとも小っ恥ずかしく思う様になった。「あーあ、俺も街で育ちたかったな」トレンドを取り入れたお洒落な人々、夜になっても煌々と光るイルミネーション。「こんな所住んでいられるか!」何度そう思ったか、分からない。都会に出て時は経ち、本当の心の豊かさとはどんなものか。反芻して考える中での親の訃報。答えは山にあった。自分の父を変わり者と軽蔑していたが、帰郷し、鱒を釣っていると、父が生前教えたかった思いがなんとなくだが、少しずつ分かる気がした。「5センチで、7g!規格外の重さで滝壺を攻める!うーん、面白い!!」縁側でさなえさんが道具を広げ何やら盛り上がっている。「どうしたの??」「ハンドメイドの良さは市販品にないスペックのものを自分で作れるとこなんです!これで伝説を釣り上げますよ!!」それにしても、この人は面白い。自分の確たる美学があり、ブレない軸があり、釣りの一連の動作からそれはヒシヒシと伝わった。「心の豊かさか…」空一面に広がる天の川を見上げると、何やら父さんが笑っている様に思えた。

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